やれ、やれ、御先祖のアブラハム様!これがクリスト教徒といふものでござんすか、おたがいに手前たち同士、せちからくやつてゐるのもだから、人の腹までその手で勘ぐる・・・・・・まあ、ひとつ聞かせてもらいませう------
この男が約束の期限を破つたとする、それで私にどんな得がありますかな、かたをおさえたところで? 肉一ポンド、それも人間の肉ときては、大した値うちもあるまい、儲かりもしまい、山羊や羊や牛のほうがまだましですぜ。
- シェイクスピア『ヴェニスの商人』
K君、Madison に出張で来たとき、Tornado Steak House に行つたかい?己はステーキは滅多に喰わないけど、会社の同僚に誘われて久しぶりに喰べたよ。
バーで一杯やつた後、レストランのテーブルに移る。
「諸君、吾ら Steak Brothers(ビフテキ兄弟)の会食にやうこそ! 此処 Tornado は Madison でもトラディショナルなレストランである。
御覧のやうに容姿端麗な輩は通りに面した席。吾らのやうな醜い連中はかのように奥の席に付かされるといふ訳だ。はつ、はつ、はあー」
ビフテキ兄弟広報担当 Peter の説明が流暢な米語で始まる。「処で日本では神戸牛と云う非常に美味なステーキを喰わせると云うではないか。余程旨いのであらうな?」、
「己は日本ではステーキ喰わないから分からないけど、きつと旨いんだらう、値段が高いから」、「左様か。まあ今宵は亞米利加のステーキを楽しみたまへ」
亞米利加のレストランでは付き物のパンが運ばれて来る。己はバーで呑んでいたマティーニがまだ残つてゐるのでドリンクは頼まない。
「諸君、数名遅れて来る事をお詫びしたい。さて、吾々はそろそろ注文しやうではないか」 皆、メニューを見る。「僕は New york Strip」と Matt。
「ノー、ノー、ノオオオー! Ribeye On The Boneがベスト、次はT-Boneだな」、「でも僕は New york Stripにする。昨日から決めてたから」。
「う~ん、僕も New york Strip。それ以上大きいのは喰べれさうにない」、「俺も」、「僕も」。「Paul、男氣を見せろ!」、「いや、俺も New york Strip にする」。
「なあんだ、客人は皆 New york Strip と云ふ訳か」。しまつた!己は一番小さい 八オンスの Filet にしやふと思つてゐたのに。New york Strip は十六オンス。
八オンスの Filetを頼んだら失笑を買うこと間違ひなし。此処は亞米利加式に頑と自分の意思を通すか。然し、喰い物如きで失笑を買つたとなつては日本男児の面目丸潰れだ。
今まで何の為に一人で亞米利加で戰つてきたんだ。そして己は未だ戰つてゐるんだ。小野田少尉は二十八年間戰ひ抜ひた。己も戦ひ續けねば。
「己は Ribeye On The Bone を戴く」、「イエス、イエス、イエエエース!」。でけえ~! Ribeye On The Bone は二十八オンス。二十八オンスは七九三グラム。
本当に皆こんなの喰えるのか。味は宜いが三分の一も喰へない。吐きさうだ。何だ、皆残してるじやん。誰も完食せず。皆、残りは持ち帰りの箱に入れてもらふ。
最初からかういふ事だつたのか。「さて、そろそろお開きとしませうか。今日は皆集まつてくれて有難う!」。ビフテキ兄弟の実態は未だ明らかになつてゐない。