もし二十世紀に終末感を抱くようなことがあるとするなら、それは一九四五年八月六日から九日、広島と長崎の上に原爆が落とされたとき、すでにもう世紀末だったんだ。
世紀の半ば前に、世紀末が始まっていたわけよ。後はもう、何が起こったって驚くことは無い。二十世紀はもうとっくの昔に世紀末を迎えているわけさ。 - 開高健『知的な痴的な教養講座』
「Lapin Agile」でGRAPPA同窓会。Mabuhayである。久し振りの顔や全く知らない顔。「あの人誰だか知つてる?」、「う~ん、知らん」。
「日本で何やつてんの?」、「自転車乗つてるよ」、「亜米利加で何やつてたの」、「釣りやつてたよ」。
「子供五人位居るんでしよう」、「居ないつつうの」、「だつて何回も結婚してるんでしよう」、「してないから」。
葡萄酒のスコツチ割りはいけません。おいおい、今どき一気飲みかよ。「次、一気飲み回つてきますから宜しくお願いします」、「了解です」。
吉祥寺の不良少年少女達は未だ健在である。
弐次会はカラオケ。「広いね此処」、「披露宴会場かよ」、「呑み放題らしいよ」、「麦酒じやんじやん持つてきて!」。
眠い!昨日朝まで飲んでたし。参次会行くの?七人で居酒屋へ。何食べたつけ?枝豆と板わさしか覚えてません。
「八月六日にサイレン鳴らさないのはおかしいですよ」、「うん、そうだね」、「やつぱりサイレン鳴らすべきですよ」。
日本はまだ大丈夫かもしれない。
今宵も醉つて候。